効率の良い社会
ってなんだろうか。
といつも考える。
それは、アルバイトの時によく。
「こいつは使えない」
「あいつは仕事できる」
などとよく耳にするが、
そういうことを言っている人が実は一番大したことのない社会的人間ではないか?
使えないだとか仕事が出来るだとか
それは個々の目盛りの基準だろう。
例えば、声が小さいけど品出しが早い。
その人には、品出しをさせればよい。
なぜならば、その人にとって一番社会的能力を発揮できる仕事だから。
計算が早くて、接客が得意。でも、ほかの事は苦手。
その人には、レジをやらせればよい。
なぜならば、その人にとって一番社会的能力を発揮できる仕事だから。
雇用人数が少ない場所や、人手が満たされていない場所では話が別になってしまうかもしれないが、得意不得意の割り当てをするべきだ。
それが出来ない上司がいると、結局みんなが仕事が出来ない、というようになってしまう。
人には得意不得意が必ず存在し、その範囲や量も違う。たくさんのことをこなせる人もいれば、覚えるのに時間がかかる人、どうしても苦手なものが多い人など、それは自然なことだろう。
屁理屈だが、人間はそれぞれ違うから。
あいつは仕事が出来ない。
そんな言い方しなくてもいいだろう。
「あいつ」だって、人より冴えてることは必ずある。
あいつは仕事が出来ないという人より得意なことはある。
自分の視点で判断した目盛りを動かさないことが間違っているのだ。
頑固だ。
仕事が出来ない、というのは仕事面においての全否定の言葉だ。
全否定は良くない。あいつにだって、良いところはある。
それを見つけずに、仕事が出来ないだなんて言ってはいけない。そんな発言をするほど、完璧な人間はいない。
もし、得意分野に配属して能力を発揮すれば、その人は認められ、広がり、社会的にも、人間的にも、成長というものを覚えるだろう。
その過程が、大切なのではないか?
人間関係
私が今一番手放したいもの。
「人間関係」
ああ、とても面倒だ。
何もかもやり直したいと思う。
私は人から信頼されるような人間ではない。
だから人間関係においては、
中途半端の網が張ってあるだけ。
友達は少ない。
友達?
友達の定義って何だろう。
友達
互いに心を許し合っている人。
一緒に遊んだり、喋ったりする親しい人。
とあった。
だが、
補足としてたくさんの人の考えが載っている。
友達に、正解はないのか。
ぐるぐる回る。
やっぱり私には友達がいない。
遊ぶ人ならいる。喋る人ならいる。
確かに友達。
でも私が思う友達という像には
ほとんどの人が当てはまらないのだ。
それは私が悪い。
私が好かれるような者ではないから。
可愛いわけでもない。
運動ができるわけでもない。
勉強ができるわけでもない。
器用なわけでもない。
話し上手なわけでもない。
聞き上手なわけでもない。
だから周りに合わせる。
周りに何をされても、
絶対に嫌な顔一つしないよう心がける。
だから疲れる。
だから友達がいないという考えに辿り着く。
無限ループだなあ。
私は一緒にいて楽だと思う人は
片手で数えて足りる。
でも別に、
その友達にとって私は一番でもない。
私は相互関係が対等でないと満足出来ないので
結果としてこの人間関係は
不等となっている。
私は少なく深く関係を築きたい。
だから信頼関係に置きたい。
なかなか世の中うまくいかない。
私が考えすぎなのもあるが、
いや、だから友達がいない。
私が一番面倒だ。
土9「時をかける少女」
見た人も多いだろう。
あの超名作「時をかける少女」が
再び映像化されたなんて
ビッグニュースにも収まりきらない。
筒井康隆原作のこの小説は
日本だけに留まらず世界に広く渡り、
そしてこよなく愛される。
"時かけ"の名で愛されるこの作品は
これまでに幾度か
アニメやドラマなどで映像化され、
さらに人気を呼んだに違いない。
世代を越えて、世界を越えて
つまりたくさんの人に認められているわけだ。
素晴らしい。
さて前置きはこの程度にしておき、
今回の土曜9時枠の全5回で放送された
「時をかける少女」についての感想を述べておきたい。
私は好きな人が出るドラマしか見ない。
つまり好きな人が出ていた。
あえて誰とは言わないが。
舞台は静岡県沼津市周辺。
海があり、自然豊かな田舎だ。
そんな舞台にぴったりな青空が
このドラマ内では繰り広げられていて
青春という二文字をいつも思い浮かべさせてくれた。
翔平が未来へ帰るための薬品を作っていたが、
それを未羽が割ってしまい、
タイムリープという能力を身につける。
これがあらすじの要約だ。
気付いただろうか。
未羽という文字に。
人名であるが、
未来へ羽ばたくのだ。
考えすぎかもしれないが、
とてもよく考えられている名前だ。
目に見える形での感動がある。
それは当然、
翔平は未羽に恋心を抱くわけだ。
未来から来た翔平にとって、
未羽が生きる現代はある意味での過去であり
初めてのことだらけ。
その翔平の好奇心が
非常に良く演技で表されていて、
男子高校生が初めて行うことに興奮、感動する様子がとても現実的だ。
毎回毎回違和感のないその男子高校生の感情というものに、凄さを感じた。
未羽は写真好きな高校生。
どうやら勉強が出来る方ではないらしい。
だが、終始カメラから手を離さない。
この女子高生は、あるものに対して没頭するという性格であることがわかる。
楽しそうに振る舞うところや
表情のひとつひとつが
完璧に女子高生として画面に収まっている。
現役女子高生である私が納得するような。
そして、吾郎。
吾郎は医学部を目指すいわゆる頭のいい人間。
ボート部に所属していて
実家は理容室らしい。
ボート部の部員に合っている
比較的背が高くて筋肉がついていて
役柄がぴったりだ。
吾郎は本当の未羽の幼馴染みで、
その仲の良さがよく伝わっていた。
ぎこちなさが全くない彼の演技には、
俳優という本業を構えているだけあって
驚愕させられた。
親に怒鳴る場面でも
変に臨場感があって良かった。
この3人を軸に
未来と過去の独自の世界が繰り広げられた。
タイムリープの能力が欲しいと
誰もが思うはずであるが、
それは何でだろうか?
未羽は自分の好都合のために
この能力を使っていたが、
それが時には人にとっての不利となる。
そんな場面もあった。
単なる青春ドラマに見えるが
やはり伝えたいものはあるんだろう。
未来と過去、すなわち時間の大切さを教えてくれる。
タイムリープなんてものは
私たちにとって身近でも何でもない。
タイムリープがあれば
やり直したいことをやり直せる。
でも、私たちはできない。
ここで何が言いたいかというと
時間を大事にしろということを言いたい。
時間の中にはたくさんのものが含まれている。
季節、出来事、人…
確かにオリジナル過ぎたかもしれない。
原作とは内容がほぼ違うが、
またそれも面白い。より面白い。
内容を変えたとしても
伝えられる事は同じだ。
それが"時かけ"だ、
私
電車
スタート
私は、飽き性。
今まで長続きしたものなんて、習い事でやっていた水泳とそろばんぐらい。
何か続けば人に誇れると思う。
だから始めてみる。
女子高校生って、キャピキャピしてるイメージ。
私だって少しぐらいしてると思う。
普段は普通の女子高校生のつもりであるわけだし。
かなり変わっていると言われるのは
この文面からも察知できることであろう。
現代文が嫌い。
いや、文系科目が嫌い。英語を除いて。
現代文ほど理解できないものはないと思っている。
先生の考え方をこれは正しいんだと叩き込まれるだけの。
漢字や語句の練習は別で、評論文や小説文の読解などに関してであるが、なぜそれが正しいことになるのか理解できないのである。
人それぞれ考え方は違うんですよ、と教えられる割には、間違いをよく指摘するものだ。
なぜ私の答えが違うのだ。
考え方は違うのではないのか。
私はこれを正解として選択し、貴方はそれを正解として選択したのだから、もうそれでいいだろう。
と、いつも思う。
ただの屁理屈であり、ただの言い訳に過ぎないのはわかっている。
でも、どうしても嫌いで苦手なのだ。
だから、私はインプットしてアウトプットするためのアウトプットにこのブログを用いてみたい。
国公立大学(理系)を志望している今、少しでも手に入れられるものがあれば良いが…。